2022年11月24日木曜日

吉野音街道が終わりました!


 今年の吉野音街道が終わりました。

吉野音街道は、僕がお声がけをさせていただいて、吉野町上市地区で行なわれるようになった音楽フェスティバルです。僕はそのまま実行委員長をつとめさせていただいています。

第2回を迎える今回は、メインステージとして、今年廃校になった吉野小学校の体育館を使い、髙松企画さんに非常に豪華なステージを作っていただきました。

僕は、吉野さくら学園(廃校になった吉野小学校と吉野北小学校が吉野中学校に統合した小中一貫校)の校歌を演奏するオープニングから、招聘ミュージシャン全員によるファイナルステージまで、ほとんどピアノを弾いていましたので、当日は外の様子がまったくわかりませんでした。

あとでネットを検索すると、吉野の皆さんにも、出演していただいたアーティストの皆さんにも、ご来場の皆さんにも、とても喜んでいただていて、本当に嬉しかったです。

ご出演くださった皆様、スタッフの皆様、そして、委員会の皆様、本当にありがとうございました!

また今年は、初めての試みになるジャズコンテストを行ない、僕は出場者の伴奏をつとめさせていただきました。

パートを問わずに募集したジャズコンテストですが、初めてとは思えない、非常にハイレベルなコンテストになりました。

最終選考出場者は6名。グランプリはリコーダーの庭野宏樹さんでした。

庭野さんはクラシック出身で、テクニックが素晴らしいだけでなく、アドリブも書き譜でしたが、僕の伴奏にインタープレイが起こるほど反応してくれて、アドリブ以上にアドリブらしく、一緒に演奏していて非常に気持ちのいいプレイヤーでした。

特にジャズは、この「反応」というものがとても重要な音楽だと僕は考えています。

どんなにテクニックがあっても、美しいハーモニーを押えていても、共演者の音に「反応」することが大切です。

反対に、「反応」のあるプレイヤーは、共演者を奮い立たせるのでバンド全体のレベルが上がります。これが「インタープレイ」です。

庭野さんのリコーダーはすばらしいテクニックで、それだけでも充分な説得力を持っていましたが、インタープレイが起きたので、バンド演奏全体も立体的になっていたと思います。

グランプリの副賞は、僕とのアルバム録音です。

素晴らしいアルバムが録音できるようがんばります。皆さん楽しみにしていてください。


2022年11月14日月曜日

音楽と宗教


 今日の動画は、先日、吉野町上市の「大和仏舎利塔宝塔寺」で行なわれた僕のソロコンサートです。

その前に開催したコンサートで、お堂にピアノを入れたので、そのピアノをお堂から出す前に、せっかくだからコンサートをしようということになり、僕が演奏しました。

宝塔寺さんのお堂は非常に響きが良く、まるでコンサートホールのようでした。

お堂はお経を響かせるようにできているようです。

外国でも、教会はオルガンや合唱がよく響くようにできているのでそれと同じようだと思いました。

西洋では、音楽は古くから教会のものでした。

日本でも、お寺のお経には節回しを指示した楽譜がついています。

世界中どこを見ても、音楽と関係のない宗教はありません。

先日、宝塔寺さんでご祈祷を受けたのですが、そのときのお経や、ご住職が鳴らしていた木剣もビートが効いていて、非常に音楽的でした。


僕は、音楽の原点は宗教にあると思っています。

音楽には、言葉だけでは伝わらないものを伝える力があり、人間の根源の部分をゆさぶるパワーもあります。

人を癒やしたり、興奮させたり、楽しませたりすることのできる音楽は、一方で、政治的プロパガンダにも使われます。そして、人を動かす力にもなります。

音楽がそれほどの力を持つことになったのは、神様や仏様という、目に見えないものの力を伝え、人を幸せにするために、昔の人が一生懸命考え、研究したからではないかと僕は想像しています。

その力が幾何学的な分割で作られたリズムであることは、先日、ブログ「芸術の正体」で書きましたが、教会音楽家だったバッハの音楽が数学的な理論に彩られているのも、その力を引き出そうとした結果ではないかと思います。

そしてジャズは、そうした音楽理論の到達点です。

数学的な分割でつくられたコードやスケール、リズムを駆使したジャズもまた、目に見えないパワーを表現することを目的としてつくられている音楽ではないでしょうか。

さらに、ご住職のご祈祷を受けながら、分割でつくられた強い音の振動は、霊気や邪気といったものにも影響を与えるのではないかと思いました。

そして、肉体を越えた、人間の魂もその振動に揺さぶられているのではないかと思いました。

その音は、この世ではない、霊界や、次元の違うところへ届くことができるのかもしれません。

お堂で演奏をしているとき、僕は、ご住職の打つ木剣の音を思い出していました。

僕も同じ音を出そうと思い、ピアノを演奏しました。

その音はもしかすると、先日亡くなった僕の父のところへも届いていたかもしれません。