2022年9月30日金曜日

移住に失敗しないために気をつけたこと

 


僕は65歳から吉野で移住生活をしていますが、その前にも、24歳のときにアメリカに留学していて、それが最初の移住生活でした。

僕は大阪のなかでも、当時はまだまだ田舎で田園風景が残っていた郊外の出身で、今と違って情報が少なく、周りにアメリカへ行ったことがある人も少ない時代でした。

外国語大学に通っていたのでまだ外国との接点があるほうだったと思いますが、今ほど外国が近い時代ではありませんでした。

若さにまかせて決めた留学を前に、僕は、「留学の心得」のような本をたくさん読んで、二つのルールを決めました。

・アメリカ人のルームメイトと暮らす。
・アメリカ人が食べているものを食べる。

日本でしかできないことは日本に置いて飛行機に乗りました。

アメリカへ行ったその日から、アメリカのすべてが僕の先生になりました。

ルームメイトからアメリカの暮らし方や流儀を教わり、ピザやハンバーガーやステーキ、そしてたっぷりの野菜と果物を食べました。

僕がたまに海苔を食べていると、ルームメイトが

「コウメイが黒い紙を食べている!」

とびっくりして友人を呼びに行き、みんなが見物に来るような時代のことだったので、日本食を手に入れるのは難しくそして高価でした。日本食に執着しなかった僕は経済的にもとても助かりましたが、食べ物の違いで困ったひとは少なくありませんでした。

おかげで僕は海外生活そのものにストレスを感じることは少なく、むしろ、日本の社会に適応できなかった僕にとって、アメリカは、とても自由で快適な場所でした。

アメリカでは通算10年暮らしましたが、帰国するときも僕は荷物をそのままにしていて、自分がもうアメリカに帰ることがないなんてことは少しも思っていませんでした。

ですから、何の覚悟もなく、アメリカに心を残したまま帰国してからの日本での生活は慣れるのに時間がかかりました。人前で演奏することをやめて研究に没頭し、壁に使い残したドル札を貼って、いつかこのお金をアメリカに返しに行こうと、そんなことを考えていました。

こうした経験から、僕は、今までと違う環境に移るときには、前の環境でしかできないことを全部捨てることにしています。そうすると、そこでの生活がとても楽になり、幸せなものになります。

新しい生活と天秤にかけて捨てられないときは、まだ移動するべき時が来ていないということなので思いとどまります。

前の生活を握りしめたまま次の生活に移っては、苦しむことが多くなるからです。

結婚するときにも僕は、一人でしかできないことは全部捨てました。またそれが捨てられるようになってから結婚しました。ですから、今、僕はいつも奧さんと一緒にいますし、それを不自由と感じることはほとんどありません。

同じように、吉野に来るときも、大阪でしかできないことは大阪に残して移住しました。ですから、仕事で大阪へは行きますが、大阪での生活が恋しくなるということはまったくありません。

今は吉野のものを食べ、吉野の方々、そして自然に学ぶ毎日で、この吉野すべてが僕の先生です。

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