2022年10月4日火曜日

田舎は退屈?

 




田舎に住んで飽きませんか?とよく聞かれます。

退屈しませんか?とも聞かれます。

この二つの質問に関して、僕は、飽きもしないし退屈もしないと即答できます。

田舎の生活はとても刺激的です。

まず、田舎には四季があります。

都会では暑い、寒いという気温や、お店に売っているもので四季を感じていました、吉野では、日々山の色が変わり、生き物が入れ替わり、植物も入れ替わり、それだけでも脳が動くのを実感します。

都会では苦手だった雨も、こちらでは、雲のかかった山の美しさや水を孕んだ空気の匂い、植物のみずみずしさ、雨を喜んで鳴く蛙の声、水が増えた川の音などが五感を刺激して、何か元気が出るような気がします。

アメリカにいたとき、何気なく手に取って読んだ水木しげるのマンガで、雨が降っている場面を見て、アメリカでは絶対にない日本の空気を感じてむしょうに日本が懐かしくなったことがありましたが、吉野ではその空気をそのまま感じています。

そしてその中でピアノを弾くことにこのうえない幸せを感じています。

だからといってスローライフなどはまったく別の世界の話で、少なくとも僕たちは吉野に来て、大阪にいた頃よりも忙しくなりました。

改造し放題の古民家と猫の額ほどですが畑のできる庭、都会にいたときには持っていなかった車もあるので、思いついたことは何でもやっているという状態です。ひとづきあいも増えました。

田舎には何もないという印象を持たれている方も多いかと思いますが、最近は郊外型のショッピングモールが多いので、車で一時間も走れば大体の用をすませることができるのではないでしょうか。

ショッピングに関しては、歩いて10分のところに百貨店があった大阪での暮らしよりも、車で40分走ってイオンモールへ行くほうが、荷物を持って歩かなくていいので楽だと感じています。

都会には、田舎では触れることのできない先端の文明があるのは確かです。

テレビやインターネットの画面でしか見ることができないものが簡単に手に取ることができるし、ファッション雑誌から抜け出してきたような人が普通に歩いています。世界中の珍しいものに触れることができるのも都会です。

都会では、情報として見聞しただけでは感じることのできない文明の迫力を感じることができます。録音と生演奏の違いといえばわかりやすいでしょうか。

文化ではなく文明と書いたのは、それが、人に消費されることを目的につくられたものだからです。文明は人に消費されることを目的に作られているので、人の多いところに集まり、時間をかけて人の少ないところへ広がってゆきます。

吉野に来るまで、僕もその洪水を浴び続けていました。

反対に、人間の精神によって創造される文化は、むしろ田舎のほうが豊かなのではないかと僕は感じています。

田舎の生活は創造性に溢れています。生産をする場所という前提があり、文明というものに都会ほどの価値がありません。

吉野は歴史的なこともあるからか、住む人、景色、その隅々にまで文化を深く感じますが、おそらく、他の田舎といわれる町もそのような傾向にあるところが多いのではないかと想像します。

文明を作る人、受け取る人は、都会でなければできないことがたくさんあると思います。

僕自身もかつてはそうでした。特に子供の頃からアメリカに行くまでは、そこから随分刺激を受けました。

むしろそうだったからこそ、田舎での生活を思う存分楽しめているところがあるのではないかと思います。

僕は今、ジャズ講師であるほかは、アーティストとして、自分が本当につくりたいものを残し、やりたいことをして生きてゆきたいと思っているので、これは、この吉野でなければできないことだと考えています。

都会に住むか、田舎に住むか、それは、文明を選ぶか文化を選ぶかということかと思います。

もちろん、どちらにいても100%どちらかを捨てるという話ではなく、比重が重くなるというだけの話で、僕も、月に数回は大阪に通っています。

慣れとは怖いもので、車で20分くらいなら近所と感じ、1時間までなら「ウチの庭」、2時間以上かかる場所でようやく遠いと感じるようになりました、



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