バークリー音楽大学へ留学したとき、僕はまだ楽譜を読むことができませんでした。
大学の軽音楽部にいた頃から、ピアノを弾くときは、コードネームを頼りに、楽譜には○や△や矢印を書いて弾いていました。
今でも楽譜は得意ではなく、暗譜はまずできません。ドレミなど音階で歌うことができず、メロディもコードも、手の形を目で見ておぼえています。
日本の音楽大学であれば楽譜を読めなければ試験に受かることができませんが、バークリーは英語力と音楽の先生の推薦状、高校大学の成績表、などを提出して入学の可否を決められるので、門をくぐることができました。
振り分けられるのはクラス分けテストです。
クラス分けのテストは、非常に簡単な問題からはじまります。
ト音記号はこの中のどれですか?
ドミソの和音はコードネームで何と呼ばれていますか?
「大丈夫かこの学校?」と思いながら20問、30問、40問の問題を解いているうちに、段々問題が難しくなり、脱落した時点でクラスが決まります。
そのとき僕は、日本で試験を受けていたときの悪い癖で、わからないところを白紙で出さずに適当に書いて提出し、それがたまたま正解してしまったため、「ハーモニーⅢ」という実力以上のクラスに入れられてしまいました。
最初の2週間はわかったような顔をしてクラスに出ていましたが、これはまずいと思い始めた頃、先生が僕たちに言いました。
「あなたたちの中でこのクラスがしんどい人がいれば下のクラスに編入できます。もしこのクラスが簡単すぎる人がいれば上のクラスにも編入できます。誰かいますか?」
それから1週間はがんばってみましたが、本当になにもわからなかったので、僕のやせ我慢は3週間で終わり、「ハーモニーⅡ」に編入しました。ここでは音楽の授業よりも英語で苦労しましたが、なんとかがんばって「ハーモニーⅠ」には行かずにすみました。
問題はアンサンブルのクラスです。
僕は楽譜は読めませんが、指が動くので思い切りピアノを弾いていたところ、アンサンブルの高いレベルのクラスに入れられてしまいました。
アンサンブルは、楽譜を読みながらバンド演奏を勉強するクラスなので、僕はあっというまに馬脚をあらわし、一番譜面が簡単なクラスに入れられました。
ただこのクラスは、演奏レベルは高いクラスでした。
バークリーでは、譜面が読めないからといって初級のクラスに入れられるのではなく、譜面と演奏のレベルを分けてクラスが組み立てられていました。このカリキュラムのきめ細かさに、僕はとても驚きました。
譜面は簡単でも演奏レベルは難易度の高いこのクラスで、僕は最高に楽しく勉強しました。
苦手を克服するよりも先に得意なものを伸ばすことのできるバークリー音楽大学での勉強は僕にとても合っていたと今でも思います。
得意なものばかりを伸ばしていても、苦手なものをそのままにしていたら必ず壁にぶつかります。そのとき、得意なものをさらに伸ばすには、苦手なものを少しづつでも克服してゆくしかありません。
バークリーで僕は、譜面を読む勉強をするようになりました。苦手でも何でもこれを克服しさえすれば、今のレベルを越えることができると思うと手をつけずにはいられませんでした。
毎日の練習の前にノルマをつくり、手当たり次第にいろいろな譜面を引っ張り出してきては、ゆっくり、正確に弾きました。
読めなかった譜面が読めるようになり、そうなると、僕の音楽の世界はさらに大きく広がりました。
できることとできないことにムラがある僕は、時間はかかりましたが、このようにしてバークリーを無事に卒業することができました。そして、今は自分がジャズを教えています。
僕も、音楽教師として、生徒を音楽の檻にとじこめることなく、バークリーが僕にしてくれたように、音楽で自由になる方法を教えることができたらいいなと思っています。
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