田舎暮らしは不便だとよく言われていますが、3年暮らして、そのように思ったことはほとんどありません。
車さえあればどこへでも行けますし、車なので、荷物を持って歩くこともありません。車の維持費が高い大阪では考えられなかったことです。
交通機関を使うのであれば、僕の家はバス停から0分で、予約制のデマンドバスで簡単に移動することができます。
町役場へ行っても、待ち時間などありません。番号札など取らなくても、立っていれば職員の方のほうから声をかけてくれ、手続きもとてもスムースですし、相談があれば親身になってくれます。
何をするにも待たなければならない都会での暮らしのほうが、僕から見れば不便です。
大阪にいるときはオーガニックの食材や新鮮な野菜を買おうと思ったら高価で、こだわり始めると探すだけでも大変でしたが、こちらでは簡単に手に入るので、そちらに関しても、都会の方が不便だったと感じています。
それなのになぜ、都会が便利だと言われているのか。
僕なりに考えてみて、都会の便利さとは、選択肢が多いということではないかと思いました。
無数のお店、無数のイベント、無数の学校、無数の娯楽、無数の仕事が都会にはひしめいています。
都会にいれば、そのどれもを選ぶことができます。僕自身も、その中からいろいろなものを選んで生きてきました。
ですが、今のような生活をしていると、選択肢の多さというものは決して幸福を保障するものではないような気がしています。
もしかすると、選択肢が多いばかりに、迷ってしまったり、しなくてもいいことをしてしまったり、しなければいけないことをできずにいたりすることもあるのではないかと思ったりします。出会うべき人と出会えないこともあるかもしれません。
自分が何を選んで生きるのか、目の前にある選択肢にだけ答えがあると思っているうちは、自分が本当に選びたいものに辿り着くのは困難です。
選択肢の少ない田舎は見通しがいいので、もしかすると、少し速く辿り着くかもしれません。少なくとも僕は、そうなっているような気がします。
そんなことよりも、田舎の朝が早いことにはとても困りました。
大阪にいた頃の僕は昼夜逆転生活だったので、当然朝は遅くまで眠っていたのですが、吉野では、朝から草刈り機や農機の音が響いて寝ている場合ではありません。
午前中の来客も少なくありません。
前と同じような生活をしようと思っていると、あっというまにフラフラになってしまいます。
吉野に来て、僕の昼夜逆転生活は完治しました。
その代わり夜も早くて、日没と同時に深夜が来ます。
とても静かになるので、家での仕事がはかどります。
ですから僕は、やはり吉野に来て良かったと思っています。
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