2022年10月10日月曜日

ジャズアドリブの聴きどころ


 僕はジャズピアニストなので、クラシックピアニストのように楽譜通りの演奏はできません。

テーマとなる曲をどんどん変奏したり、その場で思い浮かんだ音楽を演奏しています。

きちんと作曲され、完成された音楽があるのに、なぜそれをわざわざ崩してアドリブするのか。

ジャズでは、作者の意図、作品の背景というものはほとんど問題にされません。

問題にされるのは、楽曲を分解して、取り出した骨組みやパーツです。

ジャズプレイヤーに愛され、スタンダードとして残るのは、メロディの美しさも条件の一つですが、何より「アドリブしやすいコード進行」であるかどうかが問われます。

ですから、普通のヒットチャートの曲がジャズとして評価されるかといえばあまりアテにはなりません。反対に、ジャズのスタンダード曲が流行曲となるかといえば、それもほぼ関係ないところで動いています。

クラシックやポップスのプレイヤーは、その楽曲を正確に演奏するところから始めて卓越した表現力でその曲の美しさや可能性を表現しますが、ジャズプレイヤーは、その楽曲を分解して発展させ、その曲の新たな魅力を示すことで、その曲の美しさ、可能性を表現します。

クラシックは演劇で、ジャズは漫才のようなものといえばわかりやすいかもしれません。

音を自由に発展させてゆくことで表現するジャズの音は、共演者や観客など、環境から非常に強い影響を受け、変化します。

その場にいる全てのものが材料として入ってきて、プレイヤーを通して音楽を作ります。

アドリブは自由なので、好きなだけ、どこまでも変化することができます。行きたい方向に行くことで魂が解放され、自分では思いもよらなかった演奏をはじめます。

そして、同じ演奏をすることは二度とありません。

アーティストは、観客に自分の魂を触れさせることが仕事です。

ジャズのアドリブは、プレイヤーの魂を剥き出しにするための仕掛けであり装置であるというわけです。

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