2022年10月18日火曜日

人を自由にする音楽と束縛する音楽

 


僕の母は美容師で、子どもの頃、僕の家は美容院でした。

家にはいつも4,5人の見習いのお姉さんが住み込みで働いていて、仕事が終わると、みんなで思い切りおしゃれをしたり、ラジオやレコードをかけて歌ったり踊ったりしていました。

子どもだった僕もお姉さんたちに混じって遊んでいて、とても可愛がられ、そして甘やかされていました。

そのようにして好きなように暮らしていましたが、学校では運動も勉強も苦手なおちこぼれで、みんなと同じようにしなければならないことが苦痛で仕方がありませんでした。

家から一歩外に出れば、いつも周りのみんなに追いつかなければいけないことがとても苦しかったので、子どもの頃から僕の心は「自由になりたい」という気持ちでいっぱいでした。

そして、僕を自由にしてくれたものが音楽でした。

おけいこでピアノを習っていたときは楽しいとは思わなかった音楽でしたが、中学生になって、箕面温泉へ行ったとき、ゲストで来ていたバンドが演奏していたローリング・ストーンズのカバーを聴いて、僕の人生が変わりました。

それまでは歌謡曲ばかり聴いていた僕が初めてロックに触れたそのときのことは、今でも昨日のことのようにおぼえています。バンドの名前は「ファニーズ」のちの「ザ・タイガース」です。ボーカルは沢田研二さんでした。

とにかくロックのリズムが忘れられなくて、家に帰って空き缶や鍋を叩きはじめると止まりませんでした。ドラムスティックを手に入れて、ずっとどこかを叩いていました。

ドラムは買ってもらえませんでしたが、ギターを始めて、ギターも一生懸命練習しました。

ロックに出会って僕は自由になりました。

誰かに追いつくためではなく、行きたいところへ行くために、僕はどれだけでも練習しました。

僕がジャズを始めたのも、当時はまだロックの理論を教えてくれるところがなかったからやむなく始めただけのことですが、ジャズの理論を勉強すればするほど僕は自由になってゆくので、僕はジャズピアニストになりました。

音楽を練習するための生活はとてもストイックなものになり、音楽のことでとても悩み、苦しみましたが、決して不幸ではなく、その間も僕は自由でした。

自分の行きたい場所へ行くために行動している限り、どんなに厳しくても、僕は自由でいられます。

演奏しているときも、僕は、自分の行きたい場所に行くことだけを考えています。ですから、音楽を演奏しているとき、僕は自由です。

反対に、「このようにしなければならない」という正解を与えられたとき、音楽は自由ではなく、束縛に変わります。

正解とは、集約される一点です。クリアすると消えてしまうゲームのゴールです。

理論や技術、ルールは束縛ではありません。それらは自由になるために編み出されてきた智恵であり、道具です。これを使いこなすことができなければ、自由になること自体が難しいものになってしまいます。誰かと演奏するときの決め事も、一緒に自由になるためのものであって束縛ではありません。

束縛とは「正解」があるということです。自分ではない誰かが設定したゴールを強いられ、走らされることです。

正解があるということは、不正解を出した人を痛めつけてしまうおそれがある反面、安定するという面があり、それが素晴らしい芸術を生み出すこともありますが、僕はやはり自由が欲しいので、音楽は、演奏する人はもちろん、聴く人にとっても、魂を解放したり、自由になったりできるものであればと考えています。



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