2022年11月14日月曜日

音楽と宗教


 今日の動画は、先日、吉野町上市の「大和仏舎利塔宝塔寺」で行なわれた僕のソロコンサートです。

その前に開催したコンサートで、お堂にピアノを入れたので、そのピアノをお堂から出す前に、せっかくだからコンサートをしようということになり、僕が演奏しました。

宝塔寺さんのお堂は非常に響きが良く、まるでコンサートホールのようでした。

お堂はお経を響かせるようにできているようです。

外国でも、教会はオルガンや合唱がよく響くようにできているのでそれと同じようだと思いました。

西洋では、音楽は古くから教会のものでした。

日本でも、お寺のお経には節回しを指示した楽譜がついています。

世界中どこを見ても、音楽と関係のない宗教はありません。

先日、宝塔寺さんでご祈祷を受けたのですが、そのときのお経や、ご住職が鳴らしていた木剣もビートが効いていて、非常に音楽的でした。


僕は、音楽の原点は宗教にあると思っています。

音楽には、言葉だけでは伝わらないものを伝える力があり、人間の根源の部分をゆさぶるパワーもあります。

人を癒やしたり、興奮させたり、楽しませたりすることのできる音楽は、一方で、政治的プロパガンダにも使われます。そして、人を動かす力にもなります。

音楽がそれほどの力を持つことになったのは、神様や仏様という、目に見えないものの力を伝え、人を幸せにするために、昔の人が一生懸命考え、研究したからではないかと僕は想像しています。

その力が幾何学的な分割で作られたリズムであることは、先日、ブログ「芸術の正体」で書きましたが、教会音楽家だったバッハの音楽が数学的な理論に彩られているのも、その力を引き出そうとした結果ではないかと思います。

そしてジャズは、そうした音楽理論の到達点です。

数学的な分割でつくられたコードやスケール、リズムを駆使したジャズもまた、目に見えないパワーを表現することを目的としてつくられている音楽ではないでしょうか。

さらに、ご住職のご祈祷を受けながら、分割でつくられた強い音の振動は、霊気や邪気といったものにも影響を与えるのではないかと思いました。

そして、肉体を越えた、人間の魂もその振動に揺さぶられているのではないかと思いました。

その音は、この世ではない、霊界や、次元の違うところへ届くことができるのかもしれません。

お堂で演奏をしているとき、僕は、ご住職の打つ木剣の音を思い出していました。

僕も同じ音を出そうと思い、ピアノを演奏しました。

その音はもしかすると、先日亡くなった僕の父のところへも届いていたかもしれません。

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